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その結果、新しいコラボレーションが実現したのである。
B社内でもカーコンポのことについてあらゆることを知らなければならず、関係者全員が「カーコンポ講習会」に参加し、スピーカーの組み立て実習などを行った。
しかし、当時20名ちかくのメンバーのなかでスピーカーを最後まで組み立てて確実に音を出せたのはたった1人、というお粗末な結果でもあった。
「走りと音」の新業態開発はこんなエピソードを残しながら進められたが、Pとの連携はメンバー全員に新しい取り組みに対する意欲と成功の確信を植え付けることができた。
このように異なる業界のトップ企業同士による連携は当時では珍しく、メーカーによる業態開発の数少ない成功事例であると同時に、業界のチャネル改革に一石を投じたと評価される事例になった。
そして、一般的な業態開発は他分野からの新規参入者によって行われる場合が多いが、トップ企業とはいえメーカーが自らの手によって開発・推進してきたこの業態開発は、当時の日本メーカーにおけるひとつの新しい試みであり、ひとつの決断と言えた。
なぜこのような発想が「社内で支持され、実現することができたのか」、また「なぜ可能であったのか」。
さまざまな要因が考えられるにしても、それは「原点に戻っていちずになれば存分に仕事をさせてもらえるという社風がBにあったから」と言えよう。
1982年4月、ついにC1号店が厚木にオープンした。
製造小売業革命の先駆けとなった「C」の店内CICと全国C会の旗揚げ当初、Cはロサンゼルスの若者たちが集まるサーフショップのような雰囲気をイメージして設計された。
構造的に見るとかなりコストの高い店舗だが、「お客さまに喜んでもらいたい」というスタッフたちの熱い想いが新店舗のオープンを次々に実現させた。
しかし、1号店オープンから1年後の1983年、ちょうど50店舗に達した頃、流通上のさまざまな問題が浮上してきた。
当時のタイヤの流通経路は「メーカー→販売会社→営業所→販売店」という形態だったが、メーカーが発信する情報が販売店まで正確に伝わらず、ときには完全に歪曲された情報が届くという致命的なディスコミュニケーションが生まれていた。
そして1号店オープン以降、わずか1年半の間にCは57店まで拡大した。
それは、販売会社の意欲ある社員たちによる参加、各地域のタイヤ専門店からの参入が大きな要因だった。
それは、まさにひとつの大きな渦を巻き起こすように急激にタイヤ業界を席巻した現象だったのである。
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